
基本情報
| 名称 | 旧山崎家住宅(油長)内蔵 |
|---|---|
| 住所表記 | 越谷市越ヶ谷三丁目2-19-5 |
| 所在地 | 埼玉県越谷市越ヶ谷三丁目4663-6 |
| 年代 | 江戸後期の建築?宝暦元年~文政13年(1751~1830)頃 |
| 構造 | 木造土蔵造2階建、瓦葺、建築面積24㎡ |
| 文化財種類 | 国登録有形文化財 |
| 登録年月日 | 2025年8月6日 |
歴史
屋号の由来と蔵の歴史
「油長(あぶらちょう)」という屋号は、菜種を江戸に出荷していたことに由来します。江戸時代、菜種油は照明用の油として重要な商品であり、越ヶ谷宿から江戸へと菜種を出荷していた山﨑家の商売がこの屋号に反映されています。 油長内蔵は、「内蔵(うちぐら)」という名称が示すように、主屋に付随する蔵として長年にわたり山﨑家の歴史を見守り続けてきました。江戸時代から明治・大正・昭和・平成と時代を超えて受け継がれてきたこの建物は、越ヶ谷宿の商家建築の歴史を今に伝える貴重な文化遺産です。
建築業・薪炭販売
油長は建築業と薪炭販売を営んでいました。建築業は、江戸時代から明治にかけて需要の高い職業であり、越ヶ谷宿の発展にも貢献した事でしょう。
薪炭販売は、当時のエネルギー源として欠かせない商売でした。薪や炭は暖房や調理に必須であり、安定した需要がありました。
平田篤胤との関係
山﨑家は国学者・平田篤胤の支援者でした。
平田篤胤は江戸時代後期の国学者で、しばしば門人の指導に越ヶ谷に赴いており、山﨑家にも逗留したと伝えられています。
13代目の山﨑篤利氏の「篤」は平田篤胤から頂いたそうで、篤胤の後援者として経済的な援助や、後妻としてお里瀬を紹介するなど文化的な交流も重ねていました。
このような文化人との交流は、商家としての山﨑家の社会的地位の高さを示すものでもあります。
曳家(ひきや)による移転
2014年(平成26年)、油長内蔵は歴史に残る大きな転機を迎えます。元々の所在地で開発が計画された際、地元の住宅メーカーである株式会社中央住宅は、地域からの強い要望も受け、この貴重な建築遺産を取り壊すのではなく、後世に残し活用する道を選択しました。
山﨑家には3棟の蔵がありましたが、建物の保存状態などを総合的に判断し、この内蔵を残すことが決定されました。そして、数十メートル離れた現在の場所へ「曳家(ひきや)」という伝統的な工法で移動させることになったのです。
曳家とは、建物を解体せずにそのまま移動させる日本の伝統的な技術です。油長内蔵の重量は100トン以上。この巨大な建物を、熟練の職人たちの手により、慎重に、そして確実に新しい場所へと移動させました。この曳家作業は、建物の保存だけでなく、伝統技術の記憶の継承として、近隣の小学生に曳家を体験してもらうイベントが開催され、非常に意義深い出来事となりました。

越谷市への寄贈と文化財登録
2017年(平成29年)、中央住宅は地域の蔵や古民家を活用した魅力ある街づくりに役立てていただくため、越谷市に対して「油長内蔵」の寄附を行いました。
この取り組みが認められ、紺綬褒章を受賞。企業の社会貢献活動の模範例として注目を集めました。
そして2025年3月21日、国の文化審議会は、越谷市越ヶ谷3丁目2-19-5に所在する「旧山﨑家住宅(油長)内蔵」を新たに登録有形文化財に登録するよう、文部科学大臣に答申しました。
文化審議会は、油長内蔵について「小規模ながら重厚な土蔵」であり、「造形の規範となっているもの」として高く評価しました。
これにより、油長内蔵は「はかり屋」「都築家糀屋」「木下半助商店」に続く、越ヶ谷宿の4番目の国登録有形文化財となりました。
見どころ

曳家(ひきや)外観(道路側正面)
油長の一番の見どころは建物が元あった時の姿を想像する事です。よく見るとその遺構が見えてきます。歴史書にも書かれていますが、この内蔵は他の建物との位置関係により、曳家をされて今の位置に移築されました。曳家とは建物を移動させる事ですが、油長内蔵は180度回転をさせながら移動をさせました。つまり今道路側から見えている顔は中庭側を向いていました。入口になっている大扉や二階の扉も元々は内側の顔です。今回の移築で回転させずに移築することも可能でしたが、道路側からの見える部分を表の顔にする為に大変な選択をしたのです。

曳家(ひきや)外観(西面)
西側に見えている立派な扉は、主屋へとつながっていた内扉です。もともと下屋は付いていませんでしたが、雨に濡れて扉が傷むことを懸念し、後に新設されました。また、現在の建物は白漆喰で美しく仕上げられていますが、もとは黒漆喰仕上げでした。周囲の景観に溶け込むよう白漆喰で化粧が施されましたが、時間の経過とともに、当時の黒漆喰がところどころに現れるようになっています。

掛子塗観音扉
窓には扉の外側が段々になっている、掛子塗観音扉(かけこぬりかんのんとびら)が付されており、小規模ながら重厚な土蔵の特徴をよく残しています。
扉が段々になっている理由は火事で扉を閉めた際に炎が入ってこないようにする為の繊細な工夫です。ピタリと合わせる左官技術は神技といえます。

越ヶ谷宿最古の土蔵造り
油長内蔵は、二階建切妻造平入桟瓦葺で、棟には棟瓦を高く積み上げた構造となっています。鬼瓦とその背景にある漆喰の影盛(かげもり)も象徴的です。外壁は白漆喰塗、腰部分はモルタル塗仕上げとしており、内部は各階一室で、小屋は束立(つかたて)の和小屋となっています。土壁は、竹を編んだ竹小舞(たけこまい)に土を何層にも塗り重ねて作られており、優れた蓄熱性と防火性を備えています。一年を通して湿度も適度に保たれるため、商品の保管に最適な環境を作り出していました。室内側は松の厚板壁一枚仕上げになっています。