
『諸国道中商人鑑』 竹野半兵衛・壺井円水撰 花屋久二郎刊 文政10(1828)年
越ヶ谷宿とは
家康ゆかりの日光街道・越ヶ谷宿は、日本橋から6里9町(約24.5km)、日光街道の3番目の宿場町として栄えた越ヶ谷宿には、江戸時代の面影を残す建物や蔵が今も残り、歴史の息吹を感じることができます。
日光街道について
日光街道は、日本橋を起点として日光の鉢石まで20宿、距離142.8km(38里)の街道です。当時の人々は1日10里(40km)を歩くのが標準で、日光まで3泊4日の旅でした。日本橋から越ヶ谷までは6里9町(約24.5km)の距離にあり、5番目の一里塚が市内蒲生に、6番目は大沢橋の手前、7番目が間久里(まくり)にありました。
五街道の一つに数えられる日光街道は、江戸と日光を結ぶ重要な街道として、多くの旅人が行き交いました。日光街道という名称について、享保元年(1716年)に新井白石が「海のそばを通らない街道は『道中』とよぶべきである」という意見書を出していますが、完全に普及したわけではなかったようです。

宝暦元(1751)年
越ヶ谷宿の位置
日本橋を出発した旅人は、まず千住宿、次に草加宿を経て、越ヶ谷宿へと至ります。草加宿と越ヶ谷宿の中間には「蒲生の立場(たてば)」があり、ここでは名物の焼米(せんべい)を楽しむことができました。越ヶ谷宿を過ぎると、次の粕壁宿(春日部)との中間に「間久里の立場」があり、こちらでは鰻蒲焼が名物として知られていました。
立場とは、宿場と宿場の中間にある休憩所のことで、旅人や人足がまさしく「杖を立てて」くつろげる場所でした。いわゆる「峠の茶屋」なども立場の一種でした。
日光街道を通った人々
日光街道は、参勤交代で奥州街道37家と日光街道3家の計40家の大名行列が通る、大変重要な街道でした。
これは五街道のうち2番目に大名行列の多い街道でした(1位は東海道の148家)。
仙台藩・伊達家、秋田藩・佐竹家、会津藩・松平家、盛岡藩・南部家など、名だたる大藩の行列が、この越ヶ谷宿を通って江戸と領地を往復しました。
また、日光東照宮への勅使である日光例幣使、朝鮮からの朝鮮通信使、琉球からの琉球慶賀使といった公式使節も、この街道を通りました。
さらに、文化人や学者たちも日光街道を旅しており、蘭学者の渡辺崋山、俳人の松尾芭蕉、測量家の伊能忠敬、儒学者の貝原益軒、そして十返舎一九と仮名垣魯文が描いた弥次さん・喜多さんの道中記にも登場するように、多くの旅人がこの道を歩きました。
寛政の改革で有名な老中・松平定信も、この街道を通った一人です。

安政4(1857)年
越ヶ谷宿と徳川家康
越ヶ谷宿は、徳川家康と深い縁のある宿場町です。そもそも江戸時代以前の越ヶ谷あたりは河川の氾濫が頻繁に発生しており、家康が治水事業として利根川と荒川の流路を変えた(瀬替え)ことにより、洪水リスクが下がり、新田開発も可能になったわけです。つまり流路の安定が越ヶ谷宿の発展に繋がったとも言えます。
家康が愛した越ヶ谷御殿もこの地にあり、家康は鷹狩りなどのために度々この地を訪れました。
この御殿は、明暦の大火(1657年)で江戸城が焼失した際、その補完として礎石ごと江戸へ移設されたという歴史があります。
また、天嶽寺は家康より15石の寺領を与えられた由緒ある寺院で、一町一寺の特権が付与されていたので越ヶ谷宿の住人は当寺の檀家とされたと言われており、宿場町と深い関りを持っています。
宿場町としての越ヶ谷宿
越ヶ谷宿には、本陣や脇本陣、旅籠が軒を連ね、多くの旅人を迎え入れました。本町の鎮守である市神社では、二と七の付く日に「六斎市」が立ち、商業の中心地として賑わいました。また、慶応二年(1866年)建立の香取神社の奥殿には、紺屋(染物屋)の作業風景が精巧に彫刻されており、越ヶ谷は染物業が盛んであったことがうかがえます。
現在の越ヶ谷宿
現在も越ヶ谷宿には、江戸時代から続く歴史的建造物が数多く残されています。国登録有形文化財として登録された木下半助商店、はかり屋(旧大野家住宅)、都築家糀屋蔵、油長内蔵(旧山﨑家住宅)の4ヵ所をはじめ、明治・大正・昭和の各時代に建てられた蔵や古民家が、当時の面影を今に伝えています。
これらの建物の多くは、単に保存されているだけでなく、カフェや複合商業施設、文化イベントの会場として活用され、「守る」だけでなく「活かす」取り組みが進められています。春には雛祭り、秋には重陽の節句にちなんだガイドツアーが開催され、蔵を活用したコンサートや展示会なども不期的に行われています。
江戸時代から続く越ヶ谷宿の歴史と文化を、是非実際に訪れて体感してください。
登録文化財について
登録有形文化財の要件の一つは建築後50年です。
越谷市にはまだまだ該当候補の歴史的建造物があり、市民の誇りとして登録有形文化財が増えることは嬉しいことです。
市内には大間野町にある旧中村家住宅や越ヶ谷の久伊豆神社の三社も登録有形文化財となっており、越谷市全体で歴史的建造物の保存と活用が進められています。