
基本情報
| 名称 | 八百喜参ノ蔵 |
|---|---|
| 住所表記 | |
| 所在地 | |
| 年代 | 大正年間 |
| 構造 | 木造土蔵造2階建、瓦葺 |
歴史
地域とともに歩んだ白鳥家
白鳥家は紀州(現在の和歌山県)出身で、江戸時代中頃(1800年頃)には越ヶ谷に移り住んだと伝えられています。
屋号は「八百喜(やおき)」で、当主は代々「喜四郎」を名乗りました。
明治時代には現在の場所で魚屋を営み、鮮魚や干物のほか、味噌・塩・昆布・鰹節なども扱う商店でした。店頭販売だけでなく、天秤棒やリヤカーを使って近隣の農村へ商品を売り歩いていました。また冠婚葬祭の料理を用意する仕出しも手がけ、地域の賑わいとともに繁盛しました。
大正9年(1920年)の越ヶ谷駅開設の際には、旧日光街道の商人たちとともに資金協力を行い、白鳥家の名は駅東口の記念碑にも刻まれています。
魚は主に築地など、乾物類は日本橋などから仕入れていたと思われます。商品は鉄道や水運で運ばれ、駅や船着場から店までは荷車で運び込まれていたと考えられます。しかし昭和10年代の終わり頃、戦時下で魚の仕入れが難しくなったため魚屋を廃業。戦後は乾物屋として営業を続けました。
現在、白鳥家の敷地には「離れ」「壱ノ蔵」「参ノ蔵」「お稲荷様」などの歴史的な建物が残っています。
見どころ
手前の庭にシンボルツリーとして植えられている紅葉の木も蔵の景観に花を添えています。
新緑の時期も美しいのですが、12月初旬の紅葉の時期は見事です。
参ノ蔵の西側には小さなお稲荷さんも残されています。
現在駐車場になっている部分も含めて、全体の敷地は表の日光街道から裏の赤山街道まで繋がっており、二面道路に接道していました。


外壁の美しい洗い出し技法
構造は木造の土蔵造りですが、一番の特徴は外壁に「洗い出し」という左官の技法が使われている事です。真っ平に仕上った精巧な壁や、出入り口に施されているアール型の戸枠を見ると、まるで石を貼ったかのようにも見えます。とても手で仕上たとは思えない重厚感のある美しい仕上がりです。

華やかな外側と対照的な素朴な内側
建物に向かって左右にそれぞれ大きな引戸の蔵戸が見えます。表面には銅板が施され、防水性を高めています。右の戸を開けるとすぐに吹き抜けになっていて、二階に上がれる梯子階段があります。二階は行き来の出来る二部屋に別れています。床は一階の天井を兼ねた厚板天井で、壁は漆喰に炭を入れた鼠漆喰(ねずみしっくい)で仕上られており、華やかな外壁とは対照的に素朴な仕上がりとなっています。